これは…
コミュ障があまりに辛すぎて
毎日死にたいと思っていた男が
このまま友達ができず
彼女も出来ないのは嫌だという思いから
コミュ障を治すために
大切な青春期間を全て費やして
可愛い彼女をつくるまでのストーリー
高校では誰とも話せずいじめを受け、
家では自分を責め続け、
毎日泣いていた男が
環境を大きく変え
自信をもって人と接することができるようになり
大切な彼女との日々を
過ごせるようになるまでの
人生激変のストーリーです。
この話は、
約8年間コミュ障で悩み続けた
僕の実体験です。
コミュ障が辛すぎて人生に絶望、
彼女を作るなんて無理と
感じている人は最後まで読んでほしいですし
過去の僕と同じように、
悩んでいるあなたに勇気を与えたいと思って
ブログを書くことにしました。
そのため、
「コミュ障は治せない」
「今の自分のままでいいかな」
そういった人は
時間の無駄になってしまうため
ここでブログを閉じていただいて
構いません。
自己紹介
それでは、
僕の身に何があって、
今の生活を手に入れたかを
ご紹介するまえに
軽い自己紹介から始めたいと思います!
はじめまして!
いけと申します!
ブログを書いている現在は24歳
(訳ありの理系大学生です。笑)
今は
・可愛い彼女のいる生活
・何でも話せる親友
・カフェのアルバイト
・イベントサークル
など
ちょっとお洒落な大学3年生です。笑
大学3年生なのに24歳!?
と思われた方もいると思います。
そこもコミュニケーションが
取れなかったことが
関わってるんです。
後ほど詳しくご説明します!
(あまりに壮絶な過去です、、)
こんな僕ですが、
約8年前の当時は
友達0、生きる希望0
高校が終わると
誰よりも早く学校から逃げ
家に帰ってからの
ゲームとyoutubeが大好きな
青春を知らない高校生でした。
高校2年生のときは
いじめを受けましたし、
高校卒業のときには
人目を気にしすぎて
まっすぐ前を向いて歩けなくなっていました。
そんな僕が
ただ普通に友達と話せるようになって、
欲をいうなら彼女が欲しい。
そう思い、
自分を変えるという道を選び
普通の大学生をしながら
彼女や友達との時間が大切と
思えるようになるまでの
全てをここでお伝えします!
高校時代は
ほんとうに辛すぎて
当時を思い出しながら
このブログを書いているので
今泣きながら書いてます。笑
おそらく、
今このブログを見てくれてるあなたは
辛い毎日を送っている
と思うんですけど
今コミュニケーションがうまく取れなくても
正しい努力の方法がわかれば
変われるんだよってことを伝えたいです。
絶対に報われる日が来ます。
だからあなた自身に
「俺は頑張ってる。だから大丈夫だよ。」
って言ってあげてくださいね。
これまでの僕の人生は
誰にも相談できず、
ずっと孤独で、
人との関わりを避けるしかない人生でした。
周りから言われる評価は
根暗で、何も話さないやつ
話したくても話せない。
失敗して笑われたくない。
そう思いながらも
変わりたいと思った理由は
・普通の青春を送りたい
・楽しく笑いあえる友達が欲しい
・彼女が欲しい
しかし、本音を言えば
・変われる気がしない
・何も努力してない陽キャがずるい
・辛すぎて何もやる気が起きない
と思っていました。
中学時代はまだ良かったけれど
声変わりを機に、
家族ともまともに話せなくなり、
声へのコンプレックスを持つ。
そのまま高校に上がったから
友達ができない。
辛すぎる毎日の始まり。
いじめを受けた高校時代
まず高校に入って
友達ができませんでした。
誰ともうまく話せなくて、
1人ぼっちのお昼ご飯。
1人ぼっちの移動教室。
それでもなんとか
1年間を乗り越えました。
そんな
高校1年生が終わり、
高校2年生は地獄の始まりでした。
いじめを受けました。
みんなの前でハゲ呼ばわりされ、
毎日暴言を吐かれ続けました。
ちなみに
いじめの主犯格は生徒会長です。
表でなく裏の陰湿ないじめだったため、
誰も庇ってくれませんでした。
毎日、暴言を吐かれる日々。
家に帰ったら
「なんで自分はこんな何だろう。」
と毎日泣いていました。
そんな高校2年生を終え、
高校3年生になっても友達はできず
お昼や移動教室はいつも1人ぼっち。
そんな人目を気にしすぎる
高校3年間を送って
僕は…
まっすぐ前を向いて
歩けなくなっていました。
具体的には、
まっすぐ前を向いている自分に
違和感を感じるんです。
下を向いていないと
落ち着かなくて、
そんな自分が大嫌いでした。
毎日外に出るだけで
メンタルがやられて
自分を責め続ける。
こんなに辛い思いをするくらいなら
死んだほうが楽なのかな。
何度もそう思いました。
しかし僕は当時
頑張っていることがありました。
それが受験勉強です。
高校に入学するときは
勉強を頑張れず入学したため
大学受験は頑張るぞ!と
意気込んでいました。
そんな受験勉強ですが、
家での勉強は
誘惑が多すぎて、
まず続きません。
だからといって
外で勉強しようと思っても
人目が気になりすぎて
全く集中できませんでした。
塾には通っていましたが、
集中できないので
ほとんど行きませんでした。
つまり、
勉強できるところが
どこにもないんです。
高校3年生のときは
受験勉強を全然頑張れず
結果は…
全落ち。
ここから
浪人3年間の始まりです。
3年間の浪人生活
浪人1年目は
自宅浪人で
始めることとなりました。
理由は単純で
塾に通っても
人目を気にしすぎて、
全く勉強できないから。
頑張れたかというと
最初の3ヶ月は
頑張れました。
やる気に満ち溢れて
浪人生活を始めたので
最初だけは頑張れたんです。
しかし、
夏休みに入るころには
勉強が全く手に付かなくなりました。
人との関わりが全くないので
メンタルが病みすぎて
机に向かっても
何もやる気が起きない。
ニート生活の始まりです。
深夜3時に寝て、
昼の12時に起きる生活。
勉強を全くせず、
外にも出たくない。
親とも
ほとんど会話なしです。
最初は色々心配して
言ってくれたんですけど
僕の
声へのコンプレックスが強く
メンタルも病みすぎてて
親ともまともに会話できませんでした。
そんな自分も大嫌いでした。
迎えた受験日。
前日にやったことは
1日中ハマってたゲームをすること。
もちろん結果は…
全落ちでした。
受験が終わって
久しぶりに
泣きまくりました。
今までは
自分と向き合うのが怖くて
スマホに依存して
逃げていたんです。
高校時代のように
毎日、自分を責め続けるのが
怖かったんです。
でも、
受験の結果が出たときに
1年間を無駄にしてしまったんだ
そう思ったときに
涙が溢れて止まりませんでした。
無意識に
洗濯物を干している
母親のもとに向かっていました。
「1年間も時間をくれたのに
本当にすみませんでした。」
涙で顔がグチャグチャで
声も上手く出てなかったと思います。
それでも、母親は
「1年間お疲れさま。
今はゆっくり休みな」
と言ってくれました。
そこから約1週間ほど
外に出られず、
今まで避けてきた
自分と向き合う時間でした。
1日1時間。
それが自分と
向き合える時間の限界でした。
1週間悩んで、
出た結論は
もう1年浪人したい。
第1志望の大学に行きたい
のもありましたが、
・普通に話せるようになりたい
・友達ができるようなコミュ力が欲しい
この一心でした。
今大学に入学しても
高校のときと変わらない
1人ぼっちの生活が待っている。
そう思いました。
このとき初めて親に
・高校生のとき、いじめられていたこと
・友達がほしいこと
・そのために浪人が必要なこと
を伝えました。
親はもう1年浪人することを
納得してくれ、
2年目の浪人生活が始まります。
2年目の浪人生活は
予備校に通うことにしました。
昨年の失敗から、
家での勉強は続かない
と思ったからです。
ですが、
ここで大きな問題があります。
それが、
人目が気になりすぎて、
外での勉強に集中できない
ことです。
当時の僕は、
そこまで考える余裕もなく、
予備校の生活が始まります。
予備校に行ってみると
やはり問題に直面しました。
授業中に
黒板の文字を写すこと
ができない。
黒板を写すために
前を向けないんです。
頑張って前を向こうとしても
向けない。
高校のときの障害が残っていたんです。
こんな風に授業を受けていたので、
授業の内容が
何も入ってきません。
人目を気にしすぎて
成績も上がらないまま、
夏休みを迎えました。
「このままじゃだめだ。」
こう思い、
予備校は半年で辞めてしまいました。
残りの半年は
家での勉強を頑張れると思い、
自宅浪人をすることにしました。
この決断が
自分のことをさらに嫌いにさせる
原因になるとは知らず。
また、ニート生活の始まりでした。
予備校を辞めた直後の
1カ月ほどは頑張れました。
しかし、
1浪目のときと同じで
メンタルが病んで
ニート生活に逆戻りです。
毎日ニート生活を送り、
受験前日まで
まともに勉強しませんでした。
もちろん結果は
全落ち
このとき僕は
今までで一番
「死」について深く考えていました。
こう思ったのは、
受験に3年連続で落ちているのも
ありましたが、
もう1つ理由がありました。
生きる希望が完全にゼロ
になったからです。
実は、
高校1年生のときから
ずっと継続していることが
ありました。
それが
ボイトレです。
声にコンプレックスのある僕は
声が変われば、
人生が変わると思っていました。
言い方を変えれば
ボイトレが生きる希望でした。
生きる希望だったから、
勉強をしてないときも
ボイトレだけは
毎日欠かさず続けていました。
しかし、独学でやっていたせいか
5年間継続しても
何も変わりませんでした。
ほんとに何も変わらなかったんです。
声が良くなるどころか、
誰とも話さないから
さらに話せなくなっていました。
もう生きている意味がないと思いました。
ただこのときは
高校生のときに感じた
「死」とは少し違いました。
高校生のときは
いじめが辛すぎて、
逃げたくて「死」を考えた。
でも当時も
ボイトレはしてたから、
生きる希望をもてた。
2浪目の終わりは、
もう希望がなかった。
生きる意味がもうなかった。
このときはどうやったら
楽に死ねるか。
そのことを毎日考えていました。
「自殺もいいけど痛そうだなー」
「電車だと家族に迷惑かかるんだ。
やめとこー」
精神もおかしくなっていました。
そんなことを
毎日のように考えながら、
死ぬ勇気がもてず約1ヵ月ほど経過しました。
親はこの1ヵ月間
何も言ってきませんでした。
ですが、突然
「少しで大丈夫だから話がしたい」
というLINEがきました。
気は進みませんでしたが、
このままは良くないと思い、
話にいきました。
「就職の話」
「専門学校の話」
「浪人の話」
などをしてくれました。
僕の将来を考えて、
すごく調べてくれていました。
部屋に戻ってから、
大号泣をしました。
もう1年だけ頑張りたい。
このときには
死にたいという感情は
なくなっていました。
もう1年だけ浪人して、
自分を変えたいということを
親に話しました。
こうして
3年目の浪人生活が始まります。
3年目の浪人は
親が紹介してくれた
有料自習室に行くことにしました。
有料自習室とは、
月額制の勉強できるスペースを
借りられる場所です。
そしてこの有料自習室で
コミュ障を治すきっかけ
をつかむことになります。
コミュ障を治す出会い
僕は有料自習室に
5月から通い始めました。
試験までは約10ヵ月。
心を燃やしていました。
そんなときに
有料自習室のスタッフさんが
「初めまして~!」
と声を掛けてくれました。
スタッフさんをKさんとします。
(Kさんは大学受験を経験した社員さんです。)
僕は
「は、はじめまして…」
と目も見れず、声もほとんど出ませんでした。
それでもKさんが
「何のために勉強してるんですか?」
それで僕は、
「あ…。受験勉強です…」
「え!素敵ですね!
これから一緒に頑張りましょうね~」
こんな感じで明るく話しかけてくれました。
1問1答でほとんど会話になっていませんでした。
このとき、僕は
コミュニケーションをとるのは
やっぱり無理だと思ってしまいました。
それから僕は
Kさんを避けるようになりました。
話しかけてくれるタイミングを把握し、
Kさんが離席しているタイミングで
帰るようにしました。
とにかく
人と話すのが怖くて
話せない自分を
悪く思われているんじゃないか
と思いました。
それでもKさんは
隙を見ては
僕に話しかけてくれました。
「今日の服装素敵ですね~!」
「今日はどの分野の勉強ですか?」
「受験勉強なら相談乗れるので、
いつでも聞いてくださいね。」
Kさんは自習室にいくと
ほぼ毎回話しかけてくれました。
それでも僕は
目を合わせることが一度も出来ず、
まともに会話できませんでした。
無視をしたこともありました。
そんな僕の態度を気にせず、
Kさんはニコニコ笑顔で
毎回、話かけ続けてくれました。
僕はあるとき
Kさんに聞いてみました。
「何でこんな僕に
毎回話しかけてくれるんですか…」
するとKさんが
「いけさんと話すのが楽しいからですよ!」
と言ってくれました。
ここで僕の考えが大きく変わりました。
上手に話せなくてもいいんだ…
ここで自習室にいく目的が大きく変わりました。
Kさんと普通に話せるようになりたい。
笑い合って会話がしたい。
僕はKさんと話すために、
自習室に行く前に
毎回1時間カラオケにいくようになりました。
話すためのボイトレ。
音域を上げるためのボイトレ。
声へのコンプレックスをなくすために
徹底的な準備をして、
向かうようになりました。
そんな生活をして3ヵ月。
僕の中で変化が起こりました。
声変わりをして以来、初めて
笑い声が出せるように
なりました。
かなり低くて、
人前で出せる笑い声では
ありませんでした。
ですが、ボイトレをして
初めて成長を感じたタイミングでした。
Kさんは会話をするたびに
僕のことを褒めてくれました。
「いけさん、最近明るくなりましたよね!」
「コンタクトにしたんですか!
もっと素敵になりましたね!」
「今日の服装ちょっと可愛いですね。笑」
僕はKさんと話すために
自習室に通い続けました。
そんな生活を続けて、
受験日まで
あと1ヵ月を迎えました。
Kさんと出会ってから
約9カ月が経っていました。
それで僕は…
人の目を見て話せるようになり、
最低限の会話ができるようになりました。
まだまだ
声へのコンプレックスはあるし、
コミュニケーションが上手くとれません。
それでも僕にとっては
大きすぎる成長でした。
僕はこのとき、
Kさんと話す毎日のなかで
学んだことがあります。
それが
失敗しても良いことです。
失敗しても良いから話かけた方がいい。
失敗を恐れて、
話すことを避けてきたから
今まで成長が何もなかったんだ。
3年目の浪人を通して、
初めて気付いたことでした。
受験勉強も、
最後まで頑張ることが出来ました。
結果、
志望の大学
に合格!
辛い時期はありましたが
人との、Kさんとの
関わりがあったおかげで
1年間頑張り続けることができました。
僕に必要だったのは
自分を肯定してくれて、
認めてくれる人だったんです。
彼女ができる大学生活
こうして
大学生活がスタートしました。
大学生活が始まった当時、
コロナウイルスが流行っている時期でした。
大学に行ける頻度は週に1回。
友達は1人出来ましたが、
交流の輪が広がらず、、、
まだまだ
コミュニケーションに苦手意識
があったので、
変わる必要がありました。
そこで僕は、
アルバイトをすることにしました。
始めたアルバイトは、
ネットカフェ。
初めての接客業です。
まあ、上手くいきません。
大きな声は出ないし、
店長に怒られることも日常でした。
「そんな接客で
お客様が喜んでくれると思っているの?」
こんなことを
言われたこともありました。
それでも長い浪人期間で学んだこと。
失敗してもいい。
だから変わることを恐れてはいけない。
僕は
上手くいかないたびに、
修正を繰り返しました。
「バイト前にボイトレをしておくと、
大きな声が出しやすいな」
「口角上げて話すと、
感じの良い声が出しやすいな」
小さな発見を1つずつ
次に活かしていきました。
こうして
ネットカフェのアルバイトを始めて
約半年。
人と話すことへの抵抗が
なくなりました。
このときから少しずつ
自分に自信が付くようになり、
もっと自分に自信をつけたい!
と思い
髪型や服装にも
気を遣うようになりました。
このタイミングで
ネットカフェのアルバイトを辞めて
カフェのアルバイトを始めました。
カフェのアルバイトを始めて
2カ月。
大学の唯一の友達に
彼女ができました。
僕もそこから
彼女が欲しくて
たまらなくなりました。
ちなみに
僕の大学は理系です。
出会いがありません。
友達にどうやって作ったのか
聞いてみると、
「マッチングアプリだよ。」
僕はマッチングアプリを始めました。
初めての女の子との
ちゃんとした会話。
上手くいかないことが
ほとんどでした。
ときには
「あの…
コミュニケーション取れないんですか?」
と言われたこともありました。
でも、
上手くいかないたびに
「次はお店を下見してからいこう!」
「上手く話せなくてもいい。
もっと共感を意識してみよう!」
と前向きに
小さな改善を繰り返していきました。
マッチングアプリを始めて
約1ヵ月。
同時に
レンタル彼氏のアルバイトも始めました。
TVで紹介されていた
レンタル彼氏。
最初の1ヵ月は
全く指名されませんでしたが
徐々に指名も増えていきました。
こうして、
3ヵ月試行錯誤を繰り返し、
出会った女性の数は30人を越え、
ついに…
人生初めての彼女が出来ました!
もう嬉しすぎて
すぐに友達に報告しました。
「彼女できたよ!!!」
「え!まじでおめでとう!!!」
彼女ができてからは
人生が楽しくなりました。
現在は
彼女や大切な友達との時間を
大切にしています。
彼女に
もっともっと
自分を好きになって欲しい。
そう思い、
・お洒落な髪型や服装
・メンズメイク
・もっと性格良くなるための人間関係
などをがんばっています。
自分への自信も
どんどんつけていきました。
僕は現在、大学3年生。
コロナ環境も緩和され、
性格の良い友達に囲まれています。
なんで
性格の良い友達に囲まれているかというと
辛いコミュ障時代を経験して
誰よりも
人の痛みがわかり、
辛さがわかるから。
だから、誰よりも
人の気持ちを考えられるし、
喜んでくれる言葉が出てくる。
もし、コミュ障時代に
変わることを諦めていたら
最高の友達、
可愛い彼女に
出会うことは出来ませんでした。
どんなに辛くても、
何度「死」を意識しても
変わることを諦めなかったから
今の僕があります。
僕はこのブログを通して、
1つだけ伝えたいことがあります。
それが
あなたは1人じゃない
ということです。
コミュニケーションが上手く取れないときは
誰にも相談できず、
何をすればコミュ障を治せるか
わからず、
メンタルが
辛くなってしまうことが
あると思います。
そんなときに
頼れる人を作って欲しいんです。
この頼れる人というのは
あなたの味方でいてくれる人です。
ただアドバイスをするのではなく
常に肯定してくれて、
ときにはただ悩みを
聞いてもらうだけでもいい。
僕はKさんという
常に味方でいてくれる人がいたから
自分を少しずつ
肯定できるようになり、
コミュ障を治すことが出来ました。
Kさんのような
常に味方でいてくれる人を
あなたにも作って欲しいんです。
その人は誰でも構いません。
絶対に味方でいてくれる存在。
そういう人と関わって
少しずつ自信を
つけていって欲しいんです。
そうすれば、
コミュ障を治す行動力になります。
頑張り続けることができます。
辛くて堪らなかったら
すぐにその人に相談してください。
ここであなたの声を言葉にします。
「そんな人いません。」
過去の僕もそうでした。
僕は運が良すぎて、Kさんに出会えた。
あなたが今すぐに
自分を変えたいのであれば
自らその人と
出会いにいく必要があります。
僕が
あなたの常に味方でいる
一緒に変わっていく人になります。
僕にあなたを変える
お手伝いをさせてください。
ここで宣言します。
あなたは変われます。
僕は約8年のコミュ障の経験から
どうすればコミュ障を治せるか
考え続けてきました。
そのすべてを
あなたにお伝えします。
今行動を起こせるかどうかで
あなたの人生が変わります。
(クリックすると公式LINEに飛びます。)
P.S.
最後まで
ご覧いただきありがとうございました♩
ここで最後に、
コミュ障を治すルートについて
軽く触れようかと思います。
ルートは2通りです。
①1人で変わっていくルート
②誰かと一緒に自分を変えていくルート
①は修羅の道です。
僕のように
間違ったルートに進んだ場合、
誰も修正してくれず、
数年経って
「何も変われなかった」
となるのが一般的です。
一方、
②も楽な道では決してありません。
だけど①とは大きく違います。
②の一緒に変わっていくルートは
しっかり指導してくれる人であれば
あなたはそれをやるだけです。
とにかく
行動してもらう必要があるので
心が折れそうになり、
「やっぱり無理なのかな」
と思うタイミングが来ます。
そのときに
常に肯定してくれ、
指導してくれる人がいたら
大きな行動力に繋がります。
考えてみてください。
今自分と同じ壁にぶつかって
「こういう方法で変われるよ!
だから大丈夫だよ。」
と言ってくれる人の存在。
上手にいってる未来が見えませんか?
今あなたは
変わりたい。
という思いが
強くなっていると思います。
そんなあなたは
僕と一緒に頑張りましょう✊
p.p.s
最後までご覧いただき
ありがとうございます。
ここまで読んでくれたあなたに
期間限定の
無料プレゼントをお渡しします。
コミュ障歴8年の僕が
たった3ヵ月で彼女をつくった
会話術をご紹介してます。
(画像をタップすると
公式ラインから
プレゼントを受け取れます。)
↓↓
コメント